天国に行って来たマナちゃんの話をどのように分かち合えば良いのか悩みました。
私がそうだったように、やはり天国の証ですので、この映像をインターネットにアップしようと決めた時に
たくさんの方々が疑問を持ったり、神学的な面でご心配される可能性があるかと思いました。
ですので、少し長い文書ですが補足として読んでいただけたら感謝です。
私は、初めて天国の話を聞いた時に神秘的な霊体験だけを重視する人たちの話ではないかと思い警戒心を持っていました。
実際マナちゃんのご家族に直接お会いして話を聞くまでは、マナちゃんの話を伝えてくださった方々の中で何人かのミニストリーは
聖書的に非常に危ないと普段から思っていたのでなおさら気を付けていました。
しかし、マナちゃんに出会って丁度1年が経った今、私の中にあった聖書的な疑問点は解決されました。
そして何より私自身がイエスさまの前で大きく変わりました。この証は次回詳しくお伝えしたいと思います。
そして気付いたことがあります。
それは、私は天国の話に抵抗があったわけではなく、
今までその証を自分たちの肉の欲のために利用してきた大人たちに怒りを感じていたということです。
マナちゃん以前にも世界各地のたくさんの子供たちが天国を経験しました。
映画や本、インターネットを通してもその証を聞くことができました。しかし、その美しい証は中々長く続きませんでした。
お金の問題で子供の親が離婚したり、ウソをついたり、それによって子供本人も、周りの人も深く傷ついたり。
私は、天国の証が長く続かない理由の一つとして、周りの大人たちの反応が大きく影響すると思います。
天国を体験した子供を特別な子とし、
「うちのペットが死んだけど、天国にいるか見てきてくれる?」
「うちの娘が今度大学生になるけど、A大学がいいのか、B大学がいいのかイエスさまに聞いてくれる?」
など、まるで占いをするように聞いてくる大人たちがたくさんいます。
子供は子供で、特別な扱いが心地よくて実際見てもいないことを話し、責任をとれない話をし、ウソをつき、その中でサタンが入り込み、神様がくださった美しい証がウソと混沌、そしてお金の奪い合いで終わってしまうことを多々見ます。
そして、その始末を遠くで見ていた私のような人たちは、
「ほらね、結局ウソだったってよ。」
「そんなのないと思ってた。」
と思ってしまい、次に他の子供が天国に行って来たという話を聞いても色眼鏡を通して見てしまうのです。
ですので、マナちゃんの証をインターネット上に乗せようとした時も躊躇してしまいました。
マナちゃんのありのままの純粋で美しい天国の証を誰にも教えないで、私だけが知っていたかったからです。他の人に知らされ汚れてしまうのではないか、マナちゃんが傷つくのではないか、マナちゃんが天国に行けなくなるのではないか、心配だったからです。
しかし、マナちゃんは私が心配するような子供ではありませんでした。彼女は私の心配よりもっと強くイエスさまの愛の中に、み言葉の中にしっかりと立っている子でした。マナちゃんにはイエスさまが教えてくれた3つの証の約束があるそうです。これは、マナちゃんだけでなく天国の証をする人、イエスさまを伝えるすべての人が守らないといけない約束だそうです。
1.嘘をついてまで証をしないこと。
出エジプト記20:16
2.人の都合のいい様に証をしない。
ガラテヤ1:10
3.自分はすごいと思ってはダメ。
ガラテヤ6:14
天国のあらゆるところに、この3つの約束が張ってあるそうです。ですので、マナちゃんはこの3つの約束を守りながら証をしています。
マナちゃんと長時間インタビューをしていると、見たことは見た、見てないことは見てない、知っていることは知ってる、知らないことは知らないと、作り話ではないことがはっきりと分かるような、正直な子供でした。
パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。
「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか『あそこだ』とか言えるようなものではありません。
見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
ルカの福音書17章20,21節
私はこのみ言葉がマナちゃんの天国の証を理解する最も核心的なみ言葉だと思います。
私はこのみ言葉を通して、天国の証をより良く心に受け止めるために3つの重要な原則があると思います。この天国の証を聞く方々にこの3つの原則から離れないことを強くお勧めします。
1.「天国」に集中せず、「イエスさま」に集中すること
パリサイ人はローマの圧制から自分たちを救ってくれる政治的なメシアを求めていました。ダビデのような王様をくださいと祈っていました。
しかし、彼らは彼らが見たいと願う間違えた理想形があったので、目の前にいるイエスさまを見ることができませんでした。
天国を待ち望むことはとても貴重なことです。しかし、「天国」や「天国にあるもの」に集中しすぎて「天国からの宝石」「天国からの金粉」「天使の羽」など目に見える現象に囚われてしまいます。
「おお!神様が今一緒にいます!!」
と叫びます。しかし、その現象がなくなったら、いつも一緒におられるイエスさまが見えなくなってしまいます。
神様の臨在の中で現れるたくさんの現象について、否定しているわけではありません。
しかし、この現象がくれる瞬間的な興奮は毎日一人で部屋に座り、イエスさまとお茶を飲みながら味わう二人だけの深い愛の時間と比べ物になりません。
一つを選択するとしたら、私は1秒の悩みもなく、イエスさまとの静かな交わりの時間を選びたいです。
不思議な現象に集中し過ぎると日常的な神様との交わりの方向性もそれを求めるようになります。祈ると天使の羽が落ちたり、金粉が着いてたり、何かが起きないと祈った気にならないのです。神様が自分の祈りを聞いてくれなかった気になります。
天国のドキュメンタリーを試写会の時に上映しましたら、何人かの人たちが
「前半が詰まらなすぎる!」
「不思議な天国を早く見せてほしい!」
と言ったそうです。1時間53分の映画の中、前半の1時間がマナちゃんのお母さんと神様の親密な交わりの部分だったからです。
事実、私がこの映画を通して一番話したかった部分がこの「神様との親密な交わり」でした。
「つまらない!」「天国見せて!」と叫んでた方々は何か不思議なことだけを求めて、それを見にきた方々かも知れません。
自分の心を神様の前でもう一度見直してみましょう。
2.「神の国はあなたかたのただ中にある」ということです。
マナちゃんのお母さんがずっと強調していることがあります。それは
「イエスさまを信じる人たちは、誰かを通してではなく、イエスさまによって直接神様と会話ができる」
ということです。
私たちは美味しい料理を電子レンジで3分だけチンすれば食べれるインスタントの時代を生きています。
この便利さ、忍耐力の無さは私たちの祈りの習慣にも現れます。即答が欲しいのです。答えてくれない神様を恨み、怒ります。私が欲しかった答えが来なくても同じです。
まるで、トンカツを電子レンジに入れると、熱くなったトンカツが出てくるように、神様に祈って3分が経つと自分がイメージした何かがチーンと出てこないといけないと思っているようです。
神様の自分に対する一番良いご計画があることを信頼しない、神様がどれほど自分のことを愛しているか信頼していない姿です。
私も、ついこの前までそのような姿でした。私の場合即答が欲しかったというより、神様が本当に私を導いてくださっているのかに対する疑問と、それによる不平不満で満ちていました。しかし、マナちゃんのお母さんとのインタビューの中で
「あ、私が神様の愛を、私のためにご自分の息子まで送ってくださったその愛を知らなかったんだ。信じなかったんだ!」
ということを悟るようになりました。
神様を信頼する人たちは、自分の前に置かれている状況、条件と関係なく真実な神様、私を導いてくださるお方、私を愛し、私のためにすべての祝福を用意してくださる神様を賛美するでしょう。
こういう人は、マナちゃんだけが天国に行くと思わないです。イエスさまが一緒におられる、今の自分の心の中が天国だからです。
3.私たちはみんな特別。
マナちゃんは特別な子です。しかし、同時に特別ではありません。
特別ということは、マナちゃんが天国の恵みを伝える使命があるということです。
特別でないということは、私たち皆が神様の前でそれぞれの使命を受けた特別な存在ということです。
ある方は、本当に特別な神様からの才能をもらっているのにも関わらずマナちゃんが天国に行くことを羨ましく思いました。
マナちゃんが天国から15曲の子供賛美を覚えてきました。しかし、これはマナちゃんが音楽的才能があるというよりか、ただ自分なりに一生懸命覚えてきただけです。
(マナちゃんが覚えてきた音源はこちらから聞くことができます。
http://ainoshizuku.p-kit.com/page397250.html
15曲が入ったマナちゃんのCDは7月中に録音し、8月にはリリーズ予定です。
愛の雫ミニストリーで公式的に発売したアルバムではありませんが、
ある素晴らしいピアニストによって今13曲がすでにCDになっています。Amazonなどで買い求めることができます。
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XP5PYVQ
8月まで待てない!と思う方はこちらをご購入ください。)
神様から音楽的才能をいただいた方々は、聖霊様のインスピレーションでとても美しい賛美を作ります。
マナちゃんのように天国に行かなくてもいつも一緒におられる聖霊さまから教えていただき、作った曲なのです。
どっちが優れた賛美か、比べることはできません。両方とも神様から来た素晴らしい賛美です。
音楽だけではありません。私たち皆それぞれの領域で神様がくださった才能があります。私と親しいある先生は、人に仕える才能、そして運転の才能がありました。韓国に行ったときに、先生は全国を回り運転をしてくださいました。私たちは年下だったので、申し訳なく思い、運転を代わろうとすると先生は「運転すること、仕えることにとても喜びを感じる!」と言ってくださいました。(今も千葉の小さな教会で、誰にも知られなかったとしても、黙々と日本の教会に仕え、信徒たちを支えている、とても貴重な先生です。)
そういう意味で、私たちは皆特別です。自分の領域で、自分と神様だけが分かる方法で神様と繋がり、コミュニケーションしているのです。マナちゃんの場合、それが夢で天国を見るということだと思います。
これから、マナちゃんの天国の証をインターネットにアップしようとしています。マナちゃんに
「イエスさまがマナちゃんを通してこの世に伝えようとしているのは何だと思う?」
と質問したことがあります。マナちゃんはこのように答えました。
「イエスさまがね、一人でも多くの人がイエスさまを信じて天国に来て欲しい。そのために祈ってねって言ってた。」
私がこの天国の証を通して伝えたいことも同じです。
不思議な天国の姿を伝えたいわけでも、マナちゃんの特別な賜物を伝えたいわけでもありません。
この映像を通して、天国でイエスさまが私たちのために住む場所を用意してくださっていること。
その用意が終われば、私たちを迎えにきてくださること。
私たちも神様とイエスさまと、聖霊様と永遠に生きる喜びを味わうことになるということ。
イエスさまを通して救われることをまだ信じていない人たちに伝わることを願っております。